・HSPとは何か?
HSP(エイチ・エス・ピー)という言葉は、近年、メディアで目にする機会が急速に増えています。Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)の頭文字をとった言葉ですが、インターネット上でHSPセルフ診断や、HSPの人の特徴などに関する情報があふれおり、正しい情報を見極めるのが難しくなっているようです。世間では「繊細で生きづらい人」という意味で使用されることが多いようですが、現在、この言葉が日本で急速に広まり、市民権を得つつあることは知っていていいことです。 以下は、飯村周平氏の「HSPについて正しく知ろう いま日本で何が起きているのか」を参考にしました。飯村氏は日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)で、『HSPの心理学:科学的根拠から理解する「繊細さ」と「生きづらさ」』(金子書房)の著書もあります。
言葉のルーツをたどると、HSPとは、もともと1990年代にアメリカの臨床心理学者エレイン・アーロンが自身の著書や論文で使用し始めた言葉です。30年近く前に生まれた言葉ですが、2019年に日本で大きな注目を集めるようになりました。この広がりには、2018年に『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』(武田友紀著・飛鳥新社)という自己啓発本がマスメディアに取り上げられたことが大きな転機になったようです。 実はこのような社会現象は、日本だけではありません。世界的にHSPへの関心は高まっているようです。例えば、スウェーデンでは日本よりも早く、2012年に一連の新聞記事でHSPが取り上げられたことによって、その関心が高まりました。スウェーデンの研究者は、そうした自国の社会現象を分析し、論文のなかでそれを「HSP現象」と記述しています。
・加速する「HSP現象」
なぜHSPは人々に受け入れられ、「HSP現象」をつくるまでに至ったのでしょうか? 大きな理由の一つに、HSPがもつ「物語性」にあるといわれています。 HSPには「生きづらさ」と「恩恵」という2つの側面があります。繊細で人よりも傷つきやすいけれども、繊細であるが故に人よりも物事の良い側面に気づき、感動したり共感したりすることができる、という「物語性」です。伝統的に「弱さ」とみなされていた性格が、「強さ」も併せもつ性格としてリフレーミングされた訳です。こうしたHSPの「物語性」が、生きづらさを抱える人々を勇気づけたのだといえます。 また自分のことばにできなかった「生きづらさ」に名前が付くことも、大きな意味を持ったといえます。例えば、「HSPを知って、これまでの生きづらさの理由が分かり、腑に落ちた」。これは、SNSでHSPを名乗る人の発信にしばしばみられる発言です。はっきりとした理由が分からず、言語化できない「生きづらさ」に対して、HSPという言葉は、その答えや意味、価値を与えたのだといえます。中には「生きづらいのは、本人の努力不足ではなく、性格・気質のせいです」、「HSPは、一部の人に与えられたギフトです」。このような発信もよくみかけます。これが何らかの「障害」を表すラベルであったら、HSPを自身のアイデンティティにし、第三者に公表する人はもっと少なかったのではないでしょうか。
・HSP現象の問題点
HSPという言葉によって、救われた人がいるということ、これは疑いようのない事実です。しかし、決して手放しでは喜べない状況があります。以下に紹介します。
①学術的な定義を超えて、あらゆる生きづらい経験にHSPというラベルが貼られるようになった。
②「私はHSPだから、障害や疾患ではない」と信じ、本当は支援が必要であってもそれが届かない。
③HSPの診断や治療を謳う医療ビジネスが広まった。
④悪質なHSP資格ビジネスやセミナーが広まった。
⑤発信力のある媒体や人が、エビデンスのない情報を発信し、それを信じてしまう人が増えた。
⑥HSPというラベルを自分に貼ることで、自己を多元的に捉えることが阻害されてしまう。
例1)「HSP医療ビジネス」
HSPはうつ病や不安障害のような疾患名ではなく、自己判断に基づくラベルです。そのため、医師がHSPであるか診断・検査をしたり、治療したりはできません。しかし、昨今の「HSP現象」によって、HSPかどうかを自己判断ではなく、医師に認めてもらいたいというニーズがあるようです。そこに目を付けた一部の精神科クリニックは、自由診療のもとでエビデンスのない脳波によるHSP診断検査や経頭蓋磁気刺激法による治療を推奨しています。
例2)「HSPカウンセラー資格ビジネス」
「HSP限定」や「HSPはカウンセラーに向いている」とうたい、数日間の講座で「HSPカウンセラー」の資格を付与したりしています。追加料金を払えば、さらに上級の資格も取得できるようです。残念ながら、飯村周平氏のような研究者からみると、資格講座は、内容の質もそうですが、内容それ自体が適切でない場合が多いようです。
例3)HSPを名乗るクライエント
心理臨床や精神医療の現場でも、HSPを名乗るクライエントが増えているようです。支援につながれることはまだ良いのですが、問題なのはその逆の場合です。例えば、専門家はクライエントのこどもが発達障害の傾向が強いと見立てても、クライエントである保護者は「自分のこどもはHSPであり、障害ではない」と話すといいます。それゆえ必要なアセスメントなどを拒み、本来必要な支援につながれない事例があるのも事実です。
・HSPを適切に理解する
2019年以来の「HSP現象」によって、私たちはネットや書籍でHSP情報を簡単に得られるようになりました。しかし、そこで得た情報との付き合い方には注意したいものです。上述のように、日本で広まったHSPは、自己啓発本をルーツにしています。そのせいもあり、SNSなどで発信されるHSP情報は、学術的なエビデンスにもとづかないものが多いようです。いわゆる、「HSP現象」で語られるHSPは、自己啓発や経験談としての側面が強いポピュラー心理学(通俗心理学)に相当するものといえます。
〇ポピュラー心理学と学術的な心理学におけるHSPの理解の違い
ポピュラー心理学 | 学術的な心理学 | |
HSPに対する説明 |
DOESが高い人 (環境感受性や感覚処理感受性への言及がない) |
環境感受性あるいは感覚処理感受性が高い人 |
感受性についての解釈① | HSPか非HSP(二値) | 正規分布(連続) |
感受性についての解釈② | 全体的にネガティブ | ニュートラル |
環境刺激に対する反応 | 生きづらい、疲れやすい、など | よくも悪くも影響を受けやすい |
〇〇型のようなタイプ分け |
する |
しない |
※DOESとは=D:深い認知的処理、O:刺激に対する圧倒されやすさ、E:共感的・情動的な反応の高まりやすさ、S:ささいな刺激に対する気づきやすさ
上記の表の説明が少し必要だと思われます。以下、簡単に触れておきます。
・HSPに関する研究は、発達心理学やパーソナリティ心理学の分野で取り扱われています。HSPとは、学術的には、環境感受性という特性が高い人を表します。環境感受性は、「ネガティブおよびポジティブ両方の環境的影響に対する知覚や処理の傾向の違い」を表す概念であり、簡単に言えば「正負の環境から影響を受けやすいかどうか」を説明するものです。HSPが広く受け入れられた背景に、HSPがもつ「物語性」があると述べましたたが、学術的には感受性それ自体に「良し悪し」や「物語性」はなく、ニュートラルな特性として扱われるものなのです。
・メディアでは「HSPは5人に1人の少数派で、世の中の多数派は非HSPである」というように「HSPか非HSPか」の二値的に説明されるが、これにも誤解があります。環境感受性は、低い人から高い人までグラデーションがある連続的な特性であり、それは正規分布で特徴づけられています。そのため、世の中で多いのは感受性が平均付近の人たちになる訳です。HSPには「感受性があり」、非HSPには「感受性がない」というのもまったくの誤解です。研究上は、HSPとそれ以外を切り分ける絶対的な基準もありません。
・最後に……
「HSP現象」は、感覚の多様性を受容する社会創成のチャンスになりえます。しかし、そうした期待の一方で、「◯◯型HSP」などの類型化が誇張されることによって、「対立構造」が生まれる状況も目にします。「HSP現象」はどこに向かうのでしょうか。現在、心理学者によるHSP情報サイト『Japan Sensitivity Research』で、HSPの誤解を指摘し適切な理解を薦めるサイトを飯村氏ら研究者が運営しています。興味のある方は、是非とも参照してみてください。