障害を「理解する」とは何か?(山﨑裕子さんの論文を読む)

  障害を理解することを考えるために

障害者雇用の考えを進めてゆくと、自ずと障害を理解するために広く社会における障害者に対する現状や知識に興味を持つようになります。特に身近に障害者がいない環境で過ごしてきた社員にとって、いきなり障害者と一緒に仕事をするとなると、先入観や思い込みから障害のある社員と向き合いことになります。それはあまり良い結果を生まないことは、多くの事例が述べていることです。そこで、障害を理解するとは何かを「理解する」という観点から考察した山﨑裕子さんの論文「障害を『理解する』とは何か? 生き方の問題として問い直し」を読むことにします。
山﨑裕子さんは、当時法政大学のキャリアデザイン学部キャリアデザイン学科4年、「障害を 『理解する』 とは何か? 生き方の問題としての問い直し」は、第29回法政大学懸賞論文で優秀賞を受賞されました。

  山﨑論文の概要について

山﨑さんの論文の概要は「はじめに」に記されているように以下の通りです。

「障害がある」というのはどういうことだろうか? 「障害は個性」という時、そこにはどういう障害観が隠されているのだろうか? 「障害者」に対するとき、「健常者」と言われる人々は「受け入れる」側なのだろうか? 「『理解』が大切だ」という時、誰にとって大切なことなのか? 「理解」していることは何に基づいた「理解」なのか? この論文では、こうした疑問を明らかにします。そのために、障害に関わることから、障害に限らない、決定的に異なる他者との共存についての考察を重ねていきます。特に教育の場で急速に浸透している「発達障害をもつこども」を「理解」し、「支援」しようという動きにおいて、はたしてそれは本当にこどものためなのか? という疑問の解決と、現場の考察を今の時点で明確にすることを本論文の目的としています。

第1章では、障害観の転換について障害をもったひとを取り巻く社会の変容や、WHOの障害観の変化、障害児教育理念の歴史について述べています。

第2章では、「障害は個性か」という疑問に、障害は個性ではなく所属であるという見方から、特に教育の場で差異を「個性」としてしまうことの安易さを述べています。また、学校での「みんなちがって、みんないい」という言葉は強者の理論であることを述べ、さらに、時代の要請で「特別支援」されるという視点について触れています。

第3章では、特別支援教育で行なおうとしている「障害への理解と対応」が「診断」というラベリングの延長線上にあることについて述べています。

第4章では、今まで考察してきたことを、障害の有無に関わらない、人間の本質的な「他者との共存」という問題として捉えなおし、その上で、他者を「理解する」ことの限界について述べています。最後に、生きているということは、生かされていることでもあり、その視点から考えると、これまで「障害」の問題として語られてきたことが、実際には、社会の中で生きる「人として」、個人の「生き方」の問題として問い直すことができることを明らかにしています。

以下、論文の内容を損なうことなく、小見出しをつけ文中の引用をなるべく廃し、文意を損なわずに切り詰めて要点を明確にして読めるようにしました。

  第1章 障害観の転換の時代

1-1 障害観の転換

    WHO(世界保健機構)では、1980年に「国際障害分類試案」(ICIDH)で示された障害モデルである、疾病(diseases)→機能・形態障害(impairments)→能力障害(disabilities)→社会的不利(handicaps)という構造を採用していた。これはベクトルが一方に作用するように見られがちで、「社会的不利」の原因・要因を障害それ自体に求めかねない個人還元主義になっているとの批判が発表直後から噴出した。 2001年のWHO総会では、新しい分類である「国際生活機能分類」(ICF)が承認され、この障害モデルは、これまでより環境要素を重視し、生物学的・医学的なもの、環境的・社会的なものの二者択一でなく、両者の相互作用のもとで障害を把握しようとする「相互作用モデル」 となっていた。ICFは、すべての人の健康領域(みること、聞くこと、歩行、学習、記憶等々)および健康関連領域(交通、教育、社会的相互関係等々)を扱うものであり、それを肯定的側面と否定的側面に区分して「障害」を後者に位置づけた。 この ICFの変化は「医療モデル」から「社会モデル」への大きな転換として評価され、ここ十数年、英語圏の雑誌では、Handicapという語がほとんど使われなくなってきており、Handicapに代わりDisable、Disabilityという語が使用されるようになった。 つまりDisabled Personではなく、「たまたま障害のある人」という意味のPerson With Disabilitiesという表現が適切であるとしている。
    今までの障害観は、障害のある人を「管理される」対象としてみなしていたが、ICFのモデルは、環境を整えることによって制約や制限が少なくなり、本人が自己決定の中で生活できる、ということを明らかにした。 これまで障害者は常に《対象》でしかなかった。障害者の歴史は、社会の人々によって愚弄される受け身の歴史であり、あくまで障害をもつ人々は個体の側に病理があり、それに起因する機能障害、能力の低下を医療によって、治療教育的働きかけによって、作業指導的な訓練によって、矯正、改善しようとするものであった。そしてある時期まで、それがうまく行なわれなければ普通の人々と社会で同じように生活するわけにはいかないという考えが支配的であった。しかし、こうした障害観は、WHOの障害観の転換や障害のある人自身による本人の活動によって、変化していくことになる。本人の活動により、よって立つ理念(思想)は、《自立》観の進歩となり、《対象》から《主体》へと発想の転換となった。この理念(思想)を 「本人中心主義」 と命名している。

1-2 「本人主体」 の障害観

    古代から中世にかけて障害のある人は、科学の対象ではなく、悪霊の祟りの結果などと考えられていた。 遺棄されたり、放置されたり、人々に軽蔑され忌み嫌われ、不当な待遇を受けていた。次の時代には、保護という考えから対応をする慈善団体が生まれたが、その活動には憐れみが内在した行為であった。障害を《異常なもの》であり、《欠陥である》とする考えが発展し、定着していった。 その結果、障害のある人は、治療(教育・訓練)する「対象」となった。この「保護」と「更正」の考えが、現在に至るまでのわが国の教育・福祉のイデオロギーである。
    アメリカでは19世紀から20世紀の転換期に、主として知的障害者の存在それ自体を否定するような社会的風潮が醸成され、おおむね1930年代まで、彼らの人権を無視した社会政策が相次いでとられた。 この動きに影響を与えたもののひとつが、知能検査である。 フランスの心理学者アルフレッド・ビネー(1857~ 1911)らが、フランス文部省の依頼にもとづき、知能検査を考え出した。 知能検査は、個々の知能を測定することで、教育の可能なこどもと、不可能なこどもを選別する役割を期待された。 その背景には、一斉教授が普及したことで、同じように教えても、勉強ができないこどもが目立ってきたので、抽出してその子にあった教育をしようという目的があった。
    アメリカでは、知能指数 (IQ) を算出し、多数の人間をいくつかのグループに分類するという応用がなされた。 さらに、このころから数名の科学者から提出された 「知能は固定的なものである」 「知能は遺伝的な資質によって全面的に規定されうる」 といった仮説が、まことしやかに語られて広まった。そのため社会を彼らから防衛するという立場の社会政策が必要とされ、優生学(人類の遺伝的素質を改善することを目的とし、悪質な遺伝形質を淘汰し、優良なものを保存することを研究する学問)の思想が法制・政策に具体化された。 移民制限や隔離収容政策と同じように、施設をつくって障害者をそこに収容することが行なわれた。施設の中での障害者の処遇は、きわめて非人間的であった。 こうした状況は、カナダやヨーロッパ諸国、北欧も例外ではなかった。 施設の実態が、強制収容所と同じだと考え、改革にのり出したのが、デンマーク社会省の役人だったバンク=ミッケルセン(Bank-Mikkelsen,N.E.1919~1990)であった。知的障害者にも人間としての尊厳がある、基本的人権を保障しなければならない、この人びとも可能な限り通常の場で通常の生活を送れるようにするべきだと問題提起した。こうした発想は、脱施設化運動、障害者の人権思想、ノーマライゼーション思想につながっていく。
    ノーマライゼーションの思想を整理するうえで大きな貢献をしたのは、スウェーデンのニリィエ (Nirje,B.1924~) であり、北米では、ウォルフェンスバーガー(Wolfensberger,W. 1934~2011)である。ノーマライゼーションとは、障害をノーマルにするということではなく、障害者の住居・教育・労働・余暇などの生活の条件を可能な限り障害のない人の生活条件と同じようにすることを意味している。ノーマライゼーションは「個人の尊厳の尊重」から出発するもので、ノーマライゼーション原理は、すべての人が平等であるという平等主義の原理にたっている。
    障害者本人による活動について、世界の障害者施策に大きな影響を与えたのは、米国の重度身体障害者によって始められた自立生活運動(Independent Living Movement 通称、IL運動)である。この運動の特徴は、従来のリハビリテーション概念と法に疑問と異議を呈したことにあり、医療モデルとしての「障害」理解(〈欠陥〉として〈治療〉すること)の限界の提示にあり、社会モデルからの理解の重要性を強調した。つまり〈ニーズ〉として〈援助〉することによる社会参加の可能性の提起と実践・実現にあった。自立生活運動は、それまでの「障害が軽減される」ことで「自立」が可能になるという思想を廃し、障害がある事実から出発する「自立」を示した。 こうして、障害のある本人による活動は身体障害者を中心に始められた。世界的な知的障害の本人活動として、「障害者である前に、まず第一に人間である」ことを宣言したピープルファースト(People First)運動がある。

1-3 障害児教育理念の歴史

    障害児者への支援は何を目的にして、どのような理念で、どのような方法で行なわれるべきかが根本から問い直されたのは、残念ながら二十年前、早くとも三十年前からであった。歴史的経緯は、1975年に国連は「障害者の権利宣言」を採択し、障害者が「同年齢の市民と同等の権利を有する」こと、障害児の教育が治療やリハビリテーションと同様に「社会的統合もしくは再統合の過程を促進する」ために不可欠なものとして位置付けられた。こうした考えは1981年の国際障害者年に引き継がれ、82年の「障害者に関する世界行動計画」で具体化された。1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」では、人種、性、財産などとならんで障害による差別の禁止が規定された。1993年の国連「障害者の機会均等化に向けた基準規則」では、「統合された環境での機会均等」の原則が示された。 こうした取り組みに一貫している原則は、①すべてのこどもの発達・学習権を保障すること、②できる限り通常の教育環境・条件の下での教育を追求する教育的統合を進めることにあった。特殊学校・学級は、一面では、障害児の教育的・社会的救済という目的をもちつつ、同時に一般公立学校の教授の効率化を助け、また将来の底辺労働力の選別・陶冶に寄与することが期待された。しかし、「障害児の権利」という観点や差別禁止という政策と相まって、社会的統合やノーマライゼーションの影響により、各国の障害児教育は変化していく。
    1978年イギリスで「ウォーノック報告」が出された。障害カテゴリー別に対応してきた従来の政策を批判し、「特別な教育的ニーズ」(Special Education Needs)をもっていると想定されるこどもたちへの、特別な対応が必要であることを提言した。それを受け1981年、教育法で「特別な教育的ニーズ」は「こどもが特別な教育的措置を必要とするような学習困難をもつ場合、特別な教育的ニーズがある」と定義された。教育法では、教育的統合に関して、「位置的統合」「社交的統合」「機能的統合」といった三つの形態に整理した。この「統合」は健常者中心の生活、学校、コミュニティ等の環境に障害のある人びとを受け入れていくことである。「既存の通常学級システムに障害児を同化させる」理念には「インテグレーション」という用語が使われてきた。
    これに対し、「インクルーシブ・エデュケーション(inclusive education)」という考え方が生れた。「インクルーシブ・エデュケーション」とは、通常の教育の場での考え方や運営のしかたを変えて、障害児を含むさまざまな特別なニーズをもつこどももすべて包含する教育のあり方を追求しようとするものである。1994年ユネスコとスペイン政府の共催による「特別ニーズ教育に関する世界会議」で、「特別ニーズ教育における諸原則、政策および実践に関するサラマンカ声明」と「特別ニーズ教育に関する行動大綱」が採択されたことによる。 この時、School for all(すべてのこどものための学校)、または education for all(すべてのこどものための教育)といったスローガンが掲げられた。 「インクルーシブ・エデュケーション」のもとには、「インクルージョン」という用語があり、これはコミュニティ、社会そのものを、多様な人びとが共生する場と考えるもの。サラマンカ声明を契機に、それまでの「インテグレーション」に代わって「インクルージョン」という用語が使われるようになった。インクルージョンは、インテグレーションを「超えて」、こども観の修正や教育の目的の再考などを含む学校システムそれ自体の改革を要求した。
    国によって「特別なニーズ」の基準や対象・範囲、あるいは「障害」との関係はさまざまであるが、第一は、障害カテゴリー別の機械的対応を止め、さらに障害児以外にもサービスの対象を拡大していくということである。 その背景には、障害を単に否定的にとらえ、それをもって障害児の特性と断定して教育を進めるのではなく、学習・生活環境との相互作用を把握し、こどもを丸ごととらえたうえでその多様性と個々の具体的な教育的ニーズに応えていくべきだという、こども観・障害観の転換がある。第二は、特別ニーズ教育は特別な場に限定されず、通常学級も含め多様な施策が重層的に保障される。
    重要なのは、インクルージョンにおいて、特別な教育的ニーズに対しては、責任ある公的な対応が求められている。しかし、こうした教育政策の背景には、ほとんどつねにコスト論が存在する。インテグレーションやインクルージョンは、本来のノーマライゼーション実現の重要な条件であるとされてきたが、単に障害児学校・学級を縮小させ、予算を削減する口実として利用されることも珍しくない。財政削減を目指す新自由主義の側からも歓迎される要素もある。OECD(経済開発協力機構)などの国際機関で、「特殊教育」に比べてインクルージョンが財政面での利点があると示唆されている。

  第2章 障害は個性か?

2-1 「障害は個性」 か?

    「障害は個性だ」というのは、一般的に受け入れられやすい言葉である。自立生活運動では「障害は個性だ」といういい方をしてきた。アメリカでは、障害はattributeと表現されていたのが、「個性」と誤訳されたのかもしれない。「個性」とは人格をあらわす用語でもある。芸術作品は個性の表出だろうが、障害は人格ではなく、「属性」のひとつにすぎない。 Attributeは「個性」ではなく「属性」と表現すべきであった。障害者や同性愛者を少数者として排除する社会に対して、あえて正面から挑み、障害や同性愛を不可視化する世の中の差別の構造を顕在化させるという効果はあるだろう。が、かえって障害者、同性愛者としての人格を固定化してしまうリスクをも背負うことになる。
    また、障害をどう受け入れるかという課題について、自立生活運動は「障害は自分の属性の一つだが、自分の人格まで規定するものではない」という考え方を示した。「障害は個性だ」といういい方についてこの場合の「個性」という言葉の使い方には、「特長」と同じように、その人のすぐれた持ち味とか美点といったニュアンスがことさらこめられている。 が、障害は勝ち取られた特性でもなければ、持って生まれた美点でもない。そういう意味では 「個性」とはいえない。
    「個性」概念には、「存在論的個性概念」と「差異を個性とする個性概念」の二つがある。「存在論的個性概念」において、個性とは、他との比較によって浮び出る差異性のことではなく、その存在それ自身のもつ固有性をさす概念である。しかし、「障害も個性である」という言い方は、本来の個性という概念からみると間違っている。障害を背負わされた能力は、ただそれを持っているというだけでは、単なる差異化された能力の所有を意味するにすぎない。しかし、自己実現のために、自己の能力を固有に発達させるとき、障害を持った能力もまた固有の仕方で自己の存在の固有性を支えるものとなる。そのとき障害を背負った能力もまた、個性を支える力として働く。しかし決して障害そのものが個性なのではない。したがって「障害それ自体が個性である」ということは出来ない。
    一方、「差異を個性とする個性概念」の矛盾としては、差異が個性であると認定することは、その差異が他者より優れていること、あるいは少なくとも劣らないことを前提とせざるを得ない。他者より優れた能力・性格を所有していること、その意味での差異が個性であると把握することになる。 こうした差異を個性とする個性概念は、市場と競争の場から押し出されてきた個性概念だといえる。 教育改革における「個性」の概念は、差異として把握されているという特徴を明らかにし、日常では、存在論的な個性概念より、差異が個性であるとする観念が常識として人々の中で働いている。「障害は個性だ」というのを「障害=個性論」と名づけ、これまでの日本の障害児教育の歴史に沿って、辞書的な定義の確認や個人的な考え方の表明の範囲をこえて、障害児・者に対する教育や福祉の実践、障害分野の制度・行政の面で、マイナスの波及効果をもたらす可能性がある。教育や福祉の実践においては、「専門的な働きかけを拒否する論理をつくり上げるために」使われてきたことは明らかである。
    『障害者白書(平成7年)』において、障害を個人の能力やパーソナリティ特性と同類とみる「心のバリアフリー」という言葉が出された。この白書では、それまでの障害観は「偏見、差別」や「憐れみ、同情」といった「異なった特別な存在」として捉えていて、それは「意識上の障壁」だとしている。続けて、国連やノーマライゼーションの考え方を基本とした「『共生』の障害者観」について述べている。その上で、「共生」の考えを更に一歩進めたのが、「障害は個性」という障害者観であると記述している。つまり、障害を個性と考えることで、障害者と健常者の区別が取り払われる、としているのである。 障害は、個人の生活と活動を制約する面をもつものであり、意識の上で位置付けを変えても、その制約が軽減したり、解消されたりするものではない。それゆえに、障害者は健常者にはない特別なニーズをもつのであり、その充足の方策の提供を社会に向かって要求する権利をもつのである。「障害は個性だ」というのは、問題をすりかえるのに使われている。
    以上のように、障害は個性ではないという考え方がある。 障害を理解することは、個人を理解することにはつながらない。障害は個人の一側面にすぎない。障害を理解したと思うことで本人を理解したと思うのは、結局、その人間について知らないのと同じである。「障害は個性だ」と教育の場で唱えるのは、あまりに軽率で安易な行為である。「障害を個性」と捉えることで、障害による困難さのみを認識し、すべてを個人の問題として帰結させ、人々は思考停止できる。障害以外を見る努力をしないで済む。公認化された無関心の態度である。そこに共存の思想はない。一見「温か」に見えるまなざしは、温かな中で行なわれる排除である。そして、この「障害は個性だ」という言葉は、見た目にはわかりにくく、特に障害が軽い場合に使われることが多い。

2-2 学校における異質性の捉え方

    学校において、それぞれの個人を尊重しようと教える時、「みんなちがって、みんないい」とよく言われる。しかし、この言葉の持つ響きの温かさには、パターナリズム(温情的庇護主義)が潜んでいる。「みんなちがって、みんないい」ということで、かえって乗り越えられない「違い」が意識される。つまり、「みんなちがって、みんないい」というのは、想定に当てはまらない者を排除した上での「みんな」であり、周囲から見て「恵まれていない」者に対して、同情心から認めてやろう、というのである。だからこそ、「みんなちがって、みんないい」という言葉は、強者が弱者を仲間に入れてあげる、という意味でもある。この温かさの中で壁はますます高くなる。 学校教育の場において、こどもに、自分の障害のことを自らクラスのみんなにいうように、教師が求める時がある。しかし、こども自身に他の子と「ちがう」ことを公表させたいというのは、教師の力量のなさと言うほかない。集団づくりができない教師としての力量のなさ、不安で仕方ないのである。こうした教師に出会った時、当然のことながら、こどもは自己自尊心を低下させる。
    土台となる集団ができていないところに、「あの子は生まれつき○○が苦手だから、みんな理解してあげよう、応援してあげよう」など、その子の発達的課題を“配慮”した指導を行うと、クラスの中での“排除”に繋がりやすい。教師としては「あなたの苦手さをみんなに知ってもらい、理解してもらおう」的な発想から当該児童の発達課題をクラス全体にわざわざ説明する(させる)のだろうが、実はその行為によって利益を受けるのは、その子でもクラスの他のこどもたちでもなく、教師本人という場合が少なくない。 教師によって、結局、こどもは集団のなかでの居場所を失っていく。それだけでなく、こどもにとって学校という学びの場をも失うことにもなる。こうした事態が報告されるのは、従来の「特殊教育」が「特別支援教育」になり、それにともなって、対象とする「障害」が拡大されたことに起因する。

2-3 「特別支援」 される時代

    近年、特に教育の場において、「発達障害」という言葉をよく耳にするようになった。そして、「発達障害」の特徴などについて雄弁に語る教師たちや、「専門家」が目立ってきた。一方で、知識として知っていても、絶えず問題が出てくる身近な「発達障害」のある子とその保護者への対応に混乱している教育現場の教師たちもいる。「専門家」たちは「障害の正しい理解と対応」「早期発見、早期療育」が大事だという。 日本では、文部科学省が設置した、特別支援教育の在り方に関する調査研究協力者会議が2003年に「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」を出している。この中で、特別支援教育は、「LD、ADHD、高機能自閉症」を支援の対象に拡大した。また、「今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)」の中で、LD、ADHD、高機能自閉症により特別な教育的支援を必要とする児童生徒が約6%程度の割合で通常学級に在籍しているという調査結果を報告している。ただし、この調査は、担任教師による回答に基づくもので、専門家による判断や、医師による診断によるものではない。特別支援教育で認知され、こうしたこどもたちへの理解と対応の困難さもあり、教育現場で関心を集めている障害といわれている。LD、ADHD、高機能自閉症だけでなく、その周辺の障害を総合して, この論文では主に「発達障害」と表記し、考察していく。
    あるフリースクールで、軽度発達障害のこどもが2001年度ごろから、にわかに増え始めたことについて触れ、その原因は、何か学校教育の変質か政策の影響か。それとも、そう診断される子が増えたのか。環境の影響か。しかも、国は「特別支援教育」を打ち出し、国会では、2005年4月「発達障害支援法」発効を決め、まさに、その子達にとって改善されたよい方向に踏み出しているという時に、こども達が学校離れを起こしているということを学校や行政はどう考えているのかと述べている。 発達障害が目立つようになってきたのは、診断概念の拡大という理由のほかに「現代という時代」を指摘する人もいる。現在の教育体制のもとで期待される人間像とは、何でも人とよく話ができて如才なく応対でき、自分の意見を人前で述べられる、極めて正常な人格像が全国に蔓延している。今の教育が、従来の試験による成績だけではなく、他者との協調性や思いやりといった情操的な面に対して過干渉気味に神経質になっていて、器用なコミュニケーションを求められている時代になってきている。最近になって発達障害が多数事例化してきたことについて時代的な社会の変化の要因は無視できない。
    障害をどのように見るかはその時代の社会による。そのために、時代の要請に合わない人々を、「排除」する社会システムを作りつつあることに、危機感をもつ人がいる。けれど、こうした障害の概念を用いることで、周りがその子を認めやすくなるのも事実である。困っている子に問題が解決されるようなかかわりがなされるのはいい。しかし、現状の教育現場では、本人が困難を感じていなくても「気がかりな子」を発見して「いい」対応をしようとしている場合がある。 日本では、特別支援教育が進められている。特別支援教育では発達障害をもつこどもの支援をするのを目的としていると言われている。しかし、それは誰のためだろうか? 本当にこどもたちのためなのだろうか? 障害のあるこどもたちは、二重の意味での生き難さを抱えている。
    軽度発達障害のように見えにくく認めにくい障害は、「差異」として評価されやすい。また、障害に非ず(非障害)と誤解されやすく、「平等」で薄めようとしても消えない差異は、私事あるいは自己の課題 (家族単位の課題)とされてしまう。そのため①その障害からの脱却、あるいは克服、あるいは障害のない側への接近という課題が生れ、自己責任論へと深刻な重い負荷がかかってしまう。つまり、自己責任論へ向かうとは、自己批判、自己非難、根性論、しつけ論、愛情論へと向かい、追いつめられ「自尊心」は傷つき、「自己評価」 は低下してしまう。また、②障害ということで、「同じではない」という考えに陥りやすく、不便という技術的な問題よりも、不幸という情緒的な課題に晒されやすく、乗り越えられない差異感の浮上が挙げられる。つまり、診断がつくと、差異が障害になり、障害は距離を置いて支援すると位置づけられる。障害と見なされた時点で、対等性を失ってしまう。いずれにしてもこの二重性は、その時点で対等性はなくなる。 障害の特性に合わせた対応をすることにより、その子の自己肯定感を損なわずに済むという。 けれども、それよりも重大な問題があることを見逃してはいないだろうか? ラベリングという問題である。

  第3章 パターナリズムと偏見、差別

3-1 「診断」というラベリング

    発達障害には早期発見・早期療育が大切だと専門家はいう。そうすることによって将来的に社会適応が良好なことが認められ、本人にとって良いのだという。平成17年4月から施行された発達障害者支援法は、この法律の対象とする発達障害を乳幼児健診で発見し、その障害をもつこどもの発達の支援をしなければならないと謳っている。しかし、乳幼児健診で行なわれる早期発見やその後に予想される診断は、誰に何をもたらすのだろうか。 発達支援をする専門家によれば、健診や診断は「レッテル貼りではない」のだという。健診そのものの目的は治療や指導を必要なこどもを出来るだけ早く見つけることにある。すなわち介入が必要なこどもを見つけること。○○障害だとレッテルを貼ってもらうために、受診するのではなく、どんな対応が有効なのかを見つけるための受診だと位置づけている。早期の介入は、絶対に必要なことと、健診関係者、療育関係者は、肝に銘じておくべきだという。
    しかし、具体的な介入が用意されていない場合に、異常だということを発見しても、こどもにプラスにはならない。どうしたらその異常さを軽減出来るかの方法を知っていることが必要になる。さまざまな特性の中から、医学的(脳科学的)特性を伝える手だてが診断である。診断名から対応策が浮かぶようでないと、診断名は無意味になるどころか、差異感だけを生むことになりはしまいか。何よりも、ただ事実を告げるだけでは専門家であることの意味がない。どのような職種であっても、職業としてこどもの支援に関わる人は、プロとして具体的な解決策を考えるべきであろう。問題行動の背後にある要因を把握すること、可能ならば医学的な診断を行うことが大切である。そして、それぞれの障害特性に配慮した、できるだけ具体的な支援手段を家族と協力して考えることが専門家の役割である。
    乳幼児健診でこども虐待や発達障害を見つけ出すことによって、将来的に非行という形で、社会的予算の発動を余儀なくされる事態を防げるという意見もある。児童の精神保健の整備を行うことは、未来を担うこどもたちの幸福に寄与するだけでなく、長期的な計算を行えば、経済的にも採算の合う仕事であることに注目している。発達障害者支援法に基づいて、これらの重要な精神保健上の大問題に早期介入が可能なシステムの構築を行うことができれば、直ちに効果は表れないとしても、10年後には必ずや社会的予算を減ずることが可能となるものという。
    確かに、実際に早期の介入は重要である。けれども、「早期発見・早期療育」は軽度発達障害になじむだろうか。課題として次の二点が挙げられる。一つには、「診断基準の問題」である。的確な診断基準がないので、専門家は手探りの「早期発見」を強いられ、障害を疑われたこどもの家族にとっては、理不尽な状況になる。二つには、「療育の問題」である。これまでの早期療育は、こどもへの療育であったが、軽度発達障害の場合、こどもを取り巻く環境への介入と支援である。しかし、早期発見されても、こういった支援を受けられる可能性は低い。現実には「早期の療育」がかなわないなかで、「早期発見」の場である、乳幼児健診でチェックされることは矛盾に満ちている。
    健診のこまやかさを検討していこうという動きについて、診断された状態がずっと続くとは限らないので、良好な適応をしている大人やこどもが診断を受け、その診断に見合った「治療的な対応をもしするならば、これは大いに問題を孕んでいる」といえる。 つまり診断が、うまくやっていた人への新たな差別概念になるということである。また、あまりに過度に医学化=メディカライズ(患者として受け入れること)することに疑問を示し、「過度の精神医学化=サイカイアトリゼイションの働きに、医師は慎重であるべき」との発言があがっている。 こどもにとって有効な対応を見つけるためのはずの早期発見は、実際に機能するより、多くの問題を生み出す。 発達臨床が医学モデルに流されてきた背景には、当事者の思慮のいたらなさということの他に、二十世紀後半からものすごい勢いで発展してきた科学的医学の進歩が背景にある。それは生物学的有機体としての人間を客観的、具体的姿として明らかにしつつある。特にこの三十年の間の分子生物学や遺伝子研究、さらにはエレクトロニクスの最新技術を駆使した医学的診断方法は、実際の臨床医学を根本から揺るがさずにおられなかった。人が人としてこの社会のなかで生活し充実した生きがいをもつという、自然科学的な生物学の次元だけでは解決できないことまでも、ただひたすらに近代の科学的医学が答えを提供してくれるだろうと、わが子の発達障害に気づいた家族は、科学的医学の技術によって診断してもらい、科学的医学の治療モデルに従っての療育を願い、要求する。 「早期療育」という場が限られ、経済的なことや住んでいる地域差もかかわって、療育が保障されることもない今、支援なしのラベリングでしかない「診断」に悩む親やこどもが増えることになるだろう。
    『知的障害・発達障害を持つ人の QOL(Quality of Life生活の質)』によると、『知的障害』のレッテルを貼られた人々のQOLの研究は、貼られたレッテルをはぎ取ることにあるという。知的障害のレッテル貼りは、人々が貼られた人自身のありのままの状態を理解する上で邪魔になる。人が「知的障害を持つ人」のレッテルを貼られれば、他者は真剣にその人の立場になって考えることが少なくなる。知的障害というレッテル貼りは、それを貼られた人々が他者からどのように見られるか、他者の見る目に影響を与える。人々が知的障害を持つ人としてレッテルを貼られれば、そのことが人々に貼られた人々への親密さや感情移入をさせなくする。それどころか、レッテル貼りは人々に貼られた人々の言葉と行動を解釈させることを通して一種の濾過装置の役割を果たす。偏りを認める状態に「診断」という方法で言葉をつけることで、本人の行動や感情に説明がつけられる。それは、いくらでも本人を見えなくさせる。
    「診断は、こども理解の出発点であって、その子についての結論ではない」 という。何か一つの「まとまり」として、「診断名」がつくと、何かがはっきりしたような気持ちになる。概念がはっきりすることで、「わかりやすく」なるといわれるが、はたして本当だろうか。それで、こどもへの理解が深まるだろうか。こどもの特徴を基準や本の記述と照合して「当てっこゲーム」をやったからといって、こどものことがわかるはずはない。こどもにかかわる知識を得たというだけである。 みんな自分が「当たり前」だと、信じていて、それを保証してくれるのは、まわりの人である。「まわりが保証してくれる」ことはどれだけアテになるのか。自分が生きてきた狭い世界で、「当たり前」として通用することだけを、当たり前としていることもアテにはならない。いまの社会に適応するための必要な知的な能力のひとつである言語能力が不十分だと「障害」ということになってしまう。けれど、それは世間でそう言っているだけにすぎない。このように早期に発見することを「良いこと」とする風潮に恐怖を感じずにはいられない。しかし、ラベリングともいえる「診断」だが、発達障害において、障害として認識されることによって生きやすくなるという家族や当事者からの声が多いことについても検討しなくてはならない。

3-2 障害とアイデンティティ

    メディアから人々はあらゆることを知った気になっている。メディアは視聴者がいて成り立つ商売であり、常に人々が関心を寄せそうな話題を探している。世の中には、こういったことで「困っている人たち」「困った人たち」がいる。 こういう人たちを「理解」し、「助ける」のは「いいこと」である、と言わんばかりにキャンペーンを行う。 現在の「発達障害」に関わる急速な動きも、その一連の流れとしてみなすことができる。そして、「発達障害」がある大人の当事者たちも疑問を持たずにそれに便乗する。「私が今まで生きていてつらかったのは『発達障害』があったからなのだ」と。
    生きているのは本人であるのに、自らの中にあるのを「自分のせいではない」ということに安堵するとは、どういうことなのだろうか? 精神病院で働く人の報告に、診断名で自分のアイデンティティを作ろうとする利用者が最近増えたとの印象を語っている。何でもトラウマにしてしまい、それらをじっくり自分で考えるというよりも、行きずりに診断名を買う消費行為のように感ずることがあるという。 細分化されたラベルを用意する専門家側とそれを消費する利用者側の関係が出現して、自分が生きていくということの意味が薄れているという。自分の存在が半分は医療のものになり、「生かされる」存在となる。障害にアイデンティティを見出せば、本人は自分の人生を引き受ける必要はなくなる。自分以外の「障害」が悪いのであるという。
    そして、「障害があるがゆえに」誤解され傷ついてきたことを「誰も理解してくれなかった」「親が悪い。先生が悪い。社会が悪い」と、周囲の対応のせいにすることができる。そればかりか、「発達障害がある自分」を意識することで、その特徴を「引き出す」ことによって、主張することによって、自分の存在価値を確認する。 こうして「支援」しようという側は、ますます「障害に基づいた理解と対応」の意義を深め、強調させていく。なにより「当事者」がそう言っているのだから。「当事者」が経験したようなつらい思いをこどもたちにさせないで済むように、「支援」しなくてはならない。それが「いいこと」であるのだから、と。
    確かに、当事者たちの体験や世界を総括し、分析していくことで、これから社会で生きていくこどもに役立つ手立ては考えられるだろう。当事者が発言していくことの意義もある。これまで周辺におかれ、ことばを奪われ、話しても聞いてもらえず、専門家支配のもとに置かれてきた社会的弱者が、当事者として発言しつつある。当事者学は、専門家の知を超えるだろう。そして私たちの社会が生き延びるために必要な知恵を示してくれるだろう。 しかし、当事者だからといって、他の当事者を代表するわけではない。集団として社会に要求していく時、同じ要求を持つ者同士が集まるには意味があるが、当事者の意見が、その障害の人の意見を代表するとは限らない。同じ特徴を有している立場の人から有効な対応や解決が発見されたとしても、それが全てではない。固有性を鈍感にさせるのは簡単である。「理解」ある人々は、目の前にいるこどもの言動全てに解釈をつける。個人の全てが「障害の特徴」の言葉にすりかえられていく。趣味が「こだわり」に、主張が「問題行動」にすりかえられていく。
    ある相談員は、実際にこどもたちと接する前に、そのこどもたちにつけられた「○○障害」という名前だけに踊らされ、「○○障害」というひとくくりの理論のなかだけで一人のこどもの支援の方向性を探ってしまっていたという。まずは「ひとりの人間としてこどもを見つめる」という、当たり前の姿勢を忘れかけていたと。また、取り組む側の考え方によっては、新たな「障害」児探しにつながりかねないことや、ただ単に「みんなと違う人」として分けられてしまうこどもをつくりだすことにつながりかねない恐れがあると、以上のことを指摘している。 何をいっても届かない言葉を、言動の全てに障害の特徴を確かめるように見てくる目を、試すような問答を、「障害への理解と対応」は、容易にはびこらせる。「障害」が「理解」されず、適切な対応をされないことによる自己肯定感を失うことと比べられはしないが、個人の生活を、それぞれが生きてきた歴史を「障害の特徴」で簡単に他人に語られることで引き起こすとてつもない無力感は、どれほどこどもから生きる力を奪うだろうか。

  第4章 他者との共存とはどういうことか?

4-1  「理解する」ことの限界

    日常において形成している(と思われている)相互理解は擬制(本質はちがっているのに、みせかけだけでとりつくろうこと。実質があるらしく見せかけられた虚構)でしかない、という。これから必要とされる新しい型の相互理解は、そのような擬制ではない。なぜなら、現代社会では、理解することが困難な、私たちとは全く異質の他者と出会う可能性があり、話し合うための土俵がなく、それゆえ問題の解決に対する適切な相互理解も存在しないような他者との共生が求められているからである。そのような他者との間には、話し合いによる解決が機能しないことが想定される。ここで「理解できない」他者というのは、仮に十分時間をかけて話し合ったとしても、それでも完全にはお互いがお互いを理解できないような可能性をもった他者である。それでは、決定的に異なった他者との共存はいかに実現するのだろうか?
    「理解できない」他者を受け入れるとき、「理解できない」他者を「話し合えば理解できる」存在としてではなく、あくまでも「理解できない」存在として受け入れることで、他者と共に生きることは可能である。「理解できない」状態を「理解できた」状態に変えなければ他者と共に生きることができないならば、他者と共に生きることは私たちにとって単なる苦痛でしかない。そして、その苦痛が耐えがたいものになったとき、他者の強制的な排除という形で問題の存在が否定されることになる。 こうしたことを避けるためには、「理解できない」状態を「理解できない」状態のままにして他者と共に生きていくことを模索すべきだろう。そして、「理解できない」他者を「理解できない」他者として受け容れた上で他者と共に生きていく方法は、「他者を受け容れた上で相手に対して主張すること」なのであるという。
    また、「理解できる」他者だと思っていることも、実際は共有していると思っている理解でしかないのだから、虚構でしかない。そう考えると、「理解できる/理解できない」という区別も一種の虚構である。「理解できる」、あるいは「理解できない」という特徴は、他者の固定された属性なのではなく、他者を観察しているものが他者の何に関心を払っているかによって現れたり消えたりするような特徴なのである。私たちは、「理解できない」ことをしばしば問題視し、あたかもそれが特別なことであるかのように思いたがる。それゆえ、同じ他者を「仲間」と「敵」に、すなわち「理解できる」他者と「理解できない」他者に区別し、異なる態度で社会的に接しようとする。しかし、そのような性向によって、問題の一般性が失われてはならない。 このように、他者を「理解」していると思っているのは、自分が「理解している」と思っているにすぎないのであり、「理解する」ことの限界を知っていることが重要でとなる。「理解している」と思っていることは、実際にはほんの一部である、自分が理解していると思っているだけである、という自覚と自省をせずに「他者を理解している」という意識をもつとき、それは誤解であり、思考の停止であり、他者への無関心と同じである。そして、「理解」というのが意図的な理解という名の操作性に基づいたものであってはならない。

4-2 「寛容であること」の問題

    「障害は文化である」、これは「聞こえないことを否定されるのではなく、手話が自分たちの言語である」と、ろう者が主張したものである。「耳が不自由」というのは、聞こえる方が自由で便利であり、「聴覚障害」は聴覚器官が壊れているために日常生活を送る上で障害になっているという意味合いだが、聞こえない人は自分にあった方法で生活しているから不自由や障害を感じることはないという。障害は克服しなくてはいけない、という「病理的視点」に立つのではなく、「一般の少数集団と同じように、ろう者の集団も、自分たちの言語(手話)と文化をもった少数集団である」という「文化的視点」をもつことは大切である。
    障害のある子は、その子が暮らす国や地域で一般的とされる常識や価値観とは、多少違う「それぞれの文化」があるという。 発想の転換をすれば、子育てやしつけがしやすくなるといい、障害のある子と丁寧にかかわってきた人たちは、障害のある子こそ、自分の価値観を広げてくれる人たちであり、異文化論の中心的な存在であるという。 また、自閉症児への治療教育のうち、有効性が示されているものの一つとして、自閉症文化を尊重した教育的対応を挙げている。自閉症の世界の深さは、人の心のもつ深さと同じものであり、その世界に触れたときに、そこに未知のきらめく世界があることを驚きを持って知るという。少なくとも自閉症文化を尊重することによって、十全な対応が現時点では構造的に出来なくとも、自閉症スペクトラムとの共生がある程度は可能であるという。彼らとの共生が21世紀の大きな課題となるという。 以上のように、自閉症を異文化として尊重し、共生しよう、という考え方がある。このとき、自閉症という障害の特性を「異文化」として「受け入れる」ことが期待されるが、そのような現実はありうるのだろうか?
    多文化共生時代というのは、多様な異文化が一定の基準で縦に系列化されてしまうのではなくて横に対等に共存し、異なる集団間の利害対立を相手への支配につなげるのではなく平和的に調節する、そうした意志が普遍化していかねばならない社会である。民主主義がそれを壊そうとするものとの闘いを通じてしか現実化しないように、この社会は、差異を権力的に消し去ろうとするものとの闘いを通じて、差異ある人びとが、その差異を相互認識の鏡としながら共生していくことを日常のモットーとする社会である。差異を解消しないで、差異を認めながら平和的に共存していく意志と能力を地球規模で育てることが最大の課題となる社会である。 また、異なるということが、相互排除の導因になるのではなく、自らを相対化させてくれ、それゆえに多様であるということが豊かさの条件であると感じ取っていくことが多文化共生時代の教育の課題になるという。 多文化教育は、人権教育にもつながり、理想として「多様な文化や生き方を尊重する自分たちとは異なっている点と似ている点を認め合って、ともに生きる」ことが掲げられるが、実際には「共存しあえない」他者との共存に悩んでいる。
    寛容の精神や多様性の尊重は、異質な他者との共生を可能にするための必要不可欠な原理だと見なされてきた。しかし、それを受け入れない者に対して、寛容の精神を強制したり、排除するようなことは、そうした行為そのものが不寛容であり、寛容と多様性の原理に反することになる。かといって、宗教などの宗派ごとに別々に教育を行なった場合、異質な他者との共生を学ぶ教育自体が成り立たなくなってしまう。 このように、フランスのライシテ(フランスにおける教会と国家の分離の原則、すなわち、国家の宗教的中立性・無宗教性および個人の信教の自由の保障を表わす)のような統合型原理にしても、アメリカやイギリスのような多文化主義にしても、どの社会でも以下のような問題は生起しつつある。 ①社会生活一般の中では、学校で教わったはずの異文化の尊重や、平等なはずの共和国原則にそぐわない現実はいくらでも存在する。建前とは異なる、という不満が根本的に解消されることは困難である。 ②一神教・原理主義的な信仰との共生という問題は、シティズンシップ教育(他人を尊重しながら、市民として社会に参加し、その役割を果たせるように、人々を教育すること)にとって限界事例といえる。これは、どのような民族・文化・信仰も等しく尊重するという相対主義的な理念と、そうした理念に基づくシティズンシップ教育が、多文化共生社会を可能とする万能の解決策ではないことを物語るものである。 ③私たちの社会では、多様性を尊重し、祝福する思想・文化とは真っ向から対立する慣習的な集団道徳が根強く生きている。その同化か排除かの雰囲気のなかで、多様性を社会と文化の活性化の資源とするモラルや思想を育てていくには多くの困難があり、障害がある。なによりも差異が大きいことを避けたり、きらったりする生理・心理レベルからの違和と反撥の感覚・感情がある。
    異質性を尊重し、認め合うこと、それだけが素晴らしいという認識では、建前だけであって、多様性を認め、共生していくという現実とはほど遠い。矛盾を抱えているなかで、共生の実現が求められる時代なのである。こうした矛盾を乗り越えるには、普遍性/差異の二項対立から脱構築することだと言う。少数者の側も多数者の側もお互いに変わりうるということが前提になければ、多文化社会における選択肢は、普遍性/差異という二項対立の最悪の帰結としての、強制的同化か隔離しかありえないだろう。 それは同時に、理解できる/理解できない、という二項対立、障害がある人/障害がない人、という二項対立、支援する側/される側の二項対立から脱することである。いつでも今自分が所属していると感じている立場と、異なる立場になりうるということ。それどころか、境界線の線引きは極めて恣意的なものである。場合によっては、誰でも問題の当事者になりうる。この世の中では、現在の社会のしくみに合わないために「問題をかかえた」人々が、「当事者になる」。社会のしくみやルールが変われば、いま問題であることも問題でなくなる可能性もあるから、問題は 「ある」 のではなく、「つくられる」。そう考えると、「問題をかかえた」人々とは、「問題をかかえさせられた」人々であるといえなくはない。それはまた、立場以上にそれぞれの存在が「生かし、生かされている」ことにつながっていく。
    「理解できる/理解できない」という二項対立が蔓延する世の中で、障害という不可解なものとして、差異を固定することにつながるのではないか。それは、共生を望んで「理解できない」ことを受け入れることとは違う。自閉症を文化として語ることで、集団として理解し、個別性への鈍感さは疑問をはさむことなく進展する。「それぞれ」の人間を知ろうとしなくなる。わずかなことからすべてを決める、ステレオタイプによるカテゴリー化(一般化)で見る力が強くなる。 自閉症者の親からは、障害の特性ばかりに注目してしまうことの弊害を訴えている。彼らがもつ社会性の障害や不安への対応を考えるとき、例えば「わかりやすく見えやすい」などもキーワードのひとつであり支援の基本ではあるが、実際には見えなくてわからないことが世の中には数多く存在する。つまり、障害への理解と対応が困難であるがゆえに、ともすれば「自閉症という障害」にのみ焦点を当てた子育てに親は陥りやすい。そして、ノウハウや結果を求める親に対して専門家は方法論の提示のみに追われがちである。こどもたちは自閉症ワールドで暮らすことを望んではいない。私たちの社会で安心して暮らしていくために、自閉症児に必要とされる教育とは、そして支援とは、そして家族は? 自閉症という障害への配慮は必要不可欠であるが、こどもたちの長い人生を考えるとき、一人の人として、“Person with Autism”の視点を親が忘れてしまうことのないように子育てを応援してもらいたいという。

4-3 「生きる」ということ

    軽度発達障害の視点を導入しても、専門家も含めて何もできないのだから差別にしかならないという否定的な意見が特別支援教育や発達障害者支援法に対して出されたことがある。しかし、実際には、細やかな配慮をしている教師は現在でも、そうしたこどもの特性を理解した支援をしており、専門家も学校との協力関係さえできればやれる支援はある。 学校は、そもそも生徒の困り感に真摯に寄り添う機能を持ち得ている(た)といえよう。障害の有無だけで特別な支援の提供を検討する姿勢ではなく、こどもたち個々の様子に寄り添うなかで、自然に生じる態度こそが求められてきたものであろう。また、そうした機能が今後も当たり前のように遂行されていくことを願うものである。 大切なのは障害名を知ることではなく、その子の特性から来る困り感の解決を手伝うこと、という視点は、「気になる子」に限らず、すべての子への教育につながることだといえる。もともとそうした視点を持っている教師なら、どの子にもそうした配慮を行なうだろう。こどもに理由を求めるのは、自分の行なっている教育を振り返ることをなくさせる。
    福田誠治著『競争やめたら学力世界――フィンランド教育の成功』(朝日選書)のなかで、フィンランドの学校について、以下のように書いている。 「フィンランドの学校に行くと、不思議な感覚にとらわれる。どこからが障害者なのか、その境がほぼ消えかかっている。さまざまな人々が一緒にいて、一人ひとりに必要な教育のニーズがあり、ニーズの多めな人が特別なニーズのある生徒だというくらいのことである。どこからが特別かという判断は、教育する側の《見る目》、つまり大人の側の余裕による」。 教育する側の見る目によって、日本の教育は、多くのこどもを「特別」という枠に入れてしまうことになるだろう。
    「障害に対する基礎的な知識はもちろん必要ですが、目の前にいるこどもの気持ちや困難にどれだけ寄り添えるか、そういう立場に立てる先生かどうかが、決定的に大きい。」 「個々のこどもへの対応を考える際に、その障害の特性だけにとらわれてしまうと、この障害だからこの対応をと実践の形式化に陥りかねません。これでは、大転換を装いつつ、実はかつて『精神薄弱児は抽象的思考はできない』といわれたような、障害特性によって教育やこどもの発達の可能性を限定する教育観に戻ってしまうのでは、という危惧をもつ。」 「LD などの研修にいくと、個別的な対応ばかりが前面に出されますが、それだけでいいのか……。こどもたちは、仲間がいるからいっしょに頑張れるし、できたことで自信をつける。自信をつけると、自分をふり返る力がつく。人として育っていくときには、すごく大切な経験で、これは、どのこどもたちにも同じように大切なこと。」 特定の子の言動に問題の原因を求めるのではなく、教育実践上の未熟さ・不十分さとして教育実践そのものを検討対象にするべきである。教育実践という日常のなかでいかにこどもを育んでいくか、が問われている。
    仕事に限らず生活ひとつひとつについて指示待ちの人が目立ちます。また気の毒なくらい周囲の顔色をうかがう人もいて、自分で決め、自分が好きだから何かをするということも少ない気がします。それは障害の特性ではなく、自我の芽生えの時期からずっと力で押さえつけられ、自分の思いを表現しないほうがいいと教育され、作られたものではないかと感じます。障害のあるなし以前に自我の弱さが気になる。 こどもはこどものままではない。 こどもの、その先の長い人生を見通せないのでは、大人として関わることの意味がない。一人ひとりのこどもの全体像に目を向けることが大事である。
    専門家とは、当事者に代わって、当事者よりも本人の状態や利益について、より適切な判断を下すことができると考えられている第三者のことである。そのために専門家には、ふつうの人にはない権威や資格が与えられている。そういう専門家が「あなたのことは、あなた以上に私が知っています。あなたにとって、何がいちばんいいかを、私が代わって判断してあげましょう」という態度をとることを、パターナリズム(温情的庇護主義)と呼ぶ。心理テストやカウンセリングは基本のところで、選別・矯正の役割を持ち、人間管理に結びつく。差別や排除が合理化される。専門家は人を「支援する側」と「支援される側」に分ける。支援される側は対象となり、自身の生活の基盤が、専門家に委ねられる。
    さまざまな課題・問題を日々考えることの積み重ねをとおして人は「手持ちのやり方」をしだいに身につけ、ようやく自信と呼ばれる感覚を得ていくのに、「心の専門家」の普及・浸透は、人がものを考える習慣を確実に衰退させる。時間と関係のなかであれこれ考え、模索することで、人は自分の住む身近な世界やより広い世界を認識し、自分についても知っていく。考えることは、生活の土台を築く大事な営みだ。しかし、進行する消費・情報社会は、次のようなメッセージを絶えず送ってくる。「考えなくてもいい、そんな面倒なことは。代わりに売ってあげる、教えてあげる、解決してあげる」。さらに「自分でやろうとするな、依存せよ、購入せよ」と。金銭・メディア情報、専門家への依存が奨励される。 ひとは、基本的な暮らしから、考えること、感じることの代行業である「心の専門家」によって、生きていく核を見失う。

  おわりに

人間としての尊厳と過剰な障害理解

私は、二項対立の思想から脱することで、共生の実現に近づくことを、前述した。差異や偏りを他者が意図的になくすことではなく、日常の中で、受け容れていくことは、人を人として尊重するということである。
「障害」や「違い」以上に、人間としての尊厳を大切にしていかなくてはならない。それが、豊かに生きるということである。
「障害」をひとくくりに見ることで、個人の個別性への鈍感さが増すため、「障害」という枠組みで個人を語ることの安易さを明確にしてきた。特別支援教育での「障害への理解と対応」の批判を行ったが、それは不必要ということではない。過剰にし、なおかつそれを「いいこと」と信じたとき、それは本人のためではない、ということを主張したのである。

以上、山﨑裕子さんは、当時法政大学のキャリアデザイン学部キャリアデザイン学科4年、「障害を 『理解する』 とは何か? 生き方の問題としての問い直し」の要点を絞ったものです。
みなさんはこの文章を読んでどんなことを思われたでしょうか? 後半の教育について議論は、あまり関係ないと思う向きも解らなくはありませんが、文中にもあるように「こどもはこどものまま」ではありません。みなさんの隣にいる障害を持った働く仲間も、以前はこのような環境の中で育ってきたのです。また障害者雇用が当たり前となりつつある中で、教師や専門家のように接してしまわないとも限りません。
障害はあくまでも属性であり、個性ではありません。障害を理解するということが、個性を理解することにはつながらないことは、この論文でも解ることです。ならば私たちは、何を理解しようとしているのでしょうか。障害者の世界に不案内な者が、障害者の歴史や教育の実態を知ることは大切なことです。そして理解するということがわたしたちの暮らす世界にとってどういうことか、この論文は多くの示唆を与えてくれます。ぜひ、社内研修などでとりあげてみて欲しいと思います。





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